昭和10年10月 | 横浜市中区伊勢佐木町にて銚子屋開業 *店名は、創業者・伊東與与惣治の出身地である千葉県銚子にちなむ |
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昭和20年 5月 | 横浜大空襲で店舗と工場を全て焼失 |
昭和20年10月 | 銚子屋を復興 |
昭和26年 6月 | 合資会社 銚子屋設立 |
昭和44年 7月 | 伊東與与惣治急逝。代表取締役 伊東義之就任 |
昭和49年 3月 | 本社ビル完成 |
昭和60年11月 | 株式会社 銚子屋設立 |
平成 3年11月 | 戸塚工場、営業本部新設 |
平成23年10月 | 代表取締役 若菜昌昭就任 |
1935年創業 創業者 伊東與与惣治について
銚子屋の創立者である伊東與与惣治は、明治45年千葉県銚子市清水町で生まれ大正14年夏 13才にして出郷氏し、横浜市鶴屋町においてところてん製造業を営む明石屋のもとで修行に精進し、主家明石屋が横浜市中区羽衣町にて製造卸商として隆昌を成すに至るまで刻苦勉励は、業界の認めるところであった。
昭和10年10月1日 23才の時故郷の名にちなみ「銚子屋」と号し横浜市中区伊勢佐木町7丁目148番地に独立開業した。
昭和20年5月29日 横浜大空襲のため店舗を焼失し8月15日の終戦を迎えた。
昭和20年10月 横浜市中区伊勢佐木町7丁目150番地へ「銚子屋」を復興する。
戦後の食糧事情悪化に伴い、ところてんは、驚異的な売れ行きを示し、銚子屋再興の基礎が築かれた、昭和28年「羊羹」の製造販売を本格的に始め、銘菓「夜桜」を全国菓子大博覧会に出品し名誉総裁高松宮宣仁親王殿下より名誉大賞牌を授与されるなど和菓子の研究にも精進し、喫茶業界や菓子同業間に絶大なる信頼を得たが、昭和44年7月2日急逝する。
昭和45年6月 紺谷徳雄氏記す

昭和36年菓子大博覧会 名誉大賞受賞

昭和40年ごろの銚子屋本店 横浜市中区